本当にイイもの その2(01/5/27)


ある本に書いてあったのですが、12音音楽が大流行していた1960年代、来世紀になれば母親が12音技法の子守唄を歌うだろうとまことしやかに囁かれたとか。
そんなアホな、と今では誰でも思うでしょう。しかし、こういう発想をしてしまう感性というのは今でもしっかり根付いていて、常に一定の人々を魅了しているような気がします。現代音楽を語るようなネット上の会議室などを覗けば、聞いたことのないような人名や手法のオンパレードで、そういった風潮を批判する前に何を話しているのかも理解できないし、まさにいかに「知っているか」そのものが興味の対象であるかのような印象を受けます。そういうことも知らないと批評できないよな〜なんて考えて調べ始めたりするなら、まさにミイラ取りがミイラになってしまうが如くです。

音楽が常に進歩している、というのは幻想だと私は思っています。
過去の音楽は知っているけど、未来の音楽は知り得ない、という点において、現代の音楽は過去の音楽を凌駕しているかのような錯覚を感じますが、実際には円を描くように好みや基本的な発想がグルグル回っているだけのような気がするのです。
だからこそ、進歩史観による音楽の評価というのは、とても危険な感じがしてしまいます。芸術的な高みが前衛的な態度で評価されるようになると、意味もない複雑さや難解さ、極端な抽象度を兼ね備えた音楽が、「これはスゴイ!」などと言われて評価されることになります。それは私に言わせれば、イイものをいい、と言える自分の感性に自信がないことの裏返しのような気がしてなりません。

もちろん、私は全ての現代音楽や前衛音楽を批判しているわけではなくて、そういった方向を礼賛してしまうような感覚がなんとなく嫌いなんです。私達は知らないうちに、今あるものにいろいろとレッテルを貼ってしまい、単純でわかりやすいから芸術性が低いとか、ポピュラーっぽいから低俗的だとか簡単に思ってしまう。しかし、それでは今我々が自分から好き好んで聞こうとしている音楽ってどういう音楽なの?とあらためて問うならば、そういったステレオタイプなレッテルが無意味であることに気付くはずです。

こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、そういう意味で女性の感性って大事だなあと思ったりします。理屈よりも感性で音楽を聴こうとするから、ジャンルや肩書きを恐れずに「ヘンな曲!」なんて平気で言えるんですね。知りすぎるからこそ、考えすぎるからこそ、曇ってしまう感性というものもあるのかもしれません。そういう自戒を込めながら、女性に「この曲どう思う?」なんて聞くのを密かに楽しみにしています。



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