デジタルコンテンツのゆくえ(01/4/21)


先週も言ったことを自分なりに整理して考えてみると、やはり現在著作者に認められている著作権の及ぶ範囲はいささか広すぎるのではないか、という気持ちを禁じ得ません。極端なことを言うと、著作権を主張できるのは他人が盗作をした場合くらいにすべきではないでしょうか。
現在のように、演奏回数、再生回数、あるいは頒布数量分だけ、著作権料が入るというのはわざわざ法律で決めるようなものではないような気がします。事務手続きの複雑さもあるし、結局はその複雑さが自由な演奏や再生を制限し、音楽文化の浸透を妨げているとも言えるからです。
無論、この考え方は一般には極めてエキセントリックで、同意を得られるものではないでしょう。むしろ、今は著作権の考え方を広く啓蒙することの方が世の中にとっては必要だと考えられていますし、私も現実の生活ではそれを推進しているつもりです。

さて、今著作権関係で最も切実な問題は「コピー」なのです。
合唱では楽譜のコピーの問題が大きいですが、その他にもDVDのソフトのコピー、CDのソフトのコピーが、情報のデジタル化に伴い、世界規模で蔓延しつつあります。これらのコピー問題はいずれも根は同じものと考えればよいでしょう。アナログ時代であれば、コピーすると情報が劣化したので、原理的にはまだ許容範囲である可能性もあったわけですが、デジタルコピーは情報の劣化がありませんから、これはコンテンツ製作側から取ってみれば許しがたい行為です。
楽譜のコピーはデジタルコピーではないものの、情報が劣化しない、という意味において、上記と等価であります(ときどき、何世代もコピーをしすぎて音符が読めない楽譜があったりしますが^^;)。
少なくとも、この情報そのものを売って生計を得ている産業がある限り、このように情報を複製して再頒布することは、やはり反社会的な行為であると認めざるを得ません。

DVDといえば、このコピーが簡単にされないような仕組みを何年にもわたり開発していたそうです。これは、DISCの内側にある暗号が書かれており、コピーをしてもその暗号がわからない限り、再生することができないという仕組みです。
ところが、DVDが発売されてから数ヶ月後、北欧の16歳の少年がこの暗号を解読、そしてインターネットにその解読情報を流すという事件が起きました。それ以降、メーカ側が新しい暗号の仕組みを作るたびに、それを解読するものが現れるといういたちごっこが続いています。
また、PCを使いこなすユーザーにとって、音楽ソフトはすでに無料でダウンロードできるのが当たり前の状態になりつつあります。そういったコンテンツをネット上から探し出すソフトもあるとか。
こうなってくると、もう、誰もコピーを止めることができないのではないでしょうか。
以前、私が「生音楽の復権」で書いたように、コピーを取り締まることが出来ないのなら、いっそのことそれを肯定してしまったらどうか、という考えもあり得ます。というより、もうすでに世の中そういう風に向かうべきではないか、と私は考えています。
そしてその考え方をベースに、これから先、未来はどうなっていくのか、と想像することに最近はハマッています。


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