著作権は難しい・・・(01/4/14)


これまで談話の中で、何度か著作権に関することに触れてきました。
合唱連盟の機関紙ハーモニーの今月号にも「合唱楽譜があぶない」と題して、楽譜のコピーの問題など、著作権についていろいろ特集を組んでいます。
実際のところ、私自身はもちろん法律に詳しいわけでもないので、詳細な著作権に関する法的な問題はわかりませんが、再度自分なりに考えてみたいと思います。

このハーモニーの特集記事に、音楽の著作権がそもそもどのように発展していったのか、こぼれ話として書いてあります。それによると著作権というのは、著作者が自分の著作物の使用に権利を持っているという考え方より以前に、出版社が自分の版を守るために当時の国王から認可してもらう形になったのが始まりと書いてあります。これが面白い、と私が思ったのは、著作者が持っている権利という考え方は、むしろ後から考えられた理屈付けのようなもののように思えたからです。
今でも、コマーシャル音楽などでは、依頼した人が著作権まで含めて全部買い取ってしまうという形が一般的だと聞いています。毎日、何回コマーシャルが流れたか、などという形で著作権管理されるととても面倒だし、買取りという条件でもやってくれるというCM音楽作曲家はたくさんいるからなのでしょう。
そもそも音楽の世界では、上のような形で依頼した人がその対価として作曲家にお金を払うという、それだけの仕組みだったと私は思います。もちろん、出版されれば名前が広まりさらに自分に依頼してくる人が多くなる、という点において、作曲家も出版を望んだのではないでしょうか。
本来これがもっともシンプルな形だし、誰にとってもわかりやすいのです。この場合、買い取った人が著作物の独占使用権を持つことになるでしょう。楽譜が出回らなければ、その演奏はその団体にしか出来ないから、その曲はいわばその団体のオリジナル曲になるわけです。もし、そのような市場というのがあり得るのなら、他の団体も自分たちのオリジナル曲を作ってもらうことにより、市場での競争が起こります。そして、その結果いい曲をかける作曲家はたくさんの報酬を得られることになるでしょう。
よく考えてみたら、これはまさにポピュラー音楽の世界そのものです。(そして、今のクラシックも昔はポピュラー音楽だったわけです。)
私の思うに、ポピュラー音楽の世界においては、著作権など音楽を楽しむための足枷にしかならないような気がします。例えば、最新流行曲をCMで使おうものなら相当の額の著作権料を支払う必要があるはずです。もちろん、アーティスト側にとっては、何から何まで自分の権利になるから、収入が増えてほくほくものではありますけど。

すでに過去の名作だけで満足しているクラシック市場において、新作で飯を食おうというのは至難の業で、それだけに著作権収入にすがる気持ちはよくわかります。ただ、売れないから飯が食えないわけで、本来私はその事実をもっと直視すべきだと思うし、それをもって音楽文化が衰退してしまうなどというのは少々おこがましいのではないか、とさえ思ってしまいます。
そう考えると、私自身は、著作権という権利自体にあまり肯定的ではないのかもしれません。でも、もっと世の中シンプルにしていかないと妙な事務手続きばかりが増えて、世の中が生産的にならないような気がしてしまうのです。
ただし、著作権がある限り、私もその権利を主張するとは思いますけども・・・^^;

ちょっと出版の権利の話から逸れてしまいました。そのことは、また考えてみたいみたいです。


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