シンセサイザーが好きだった(01/4/7)


たった今NHKの番組で喜多郎の特集をやっていて、それを見ていたところです。
喜多郎自身がテレビに出て話しているのはあんまり見たことがなくて、思ったより穏やかな人なんだなあ、と感じてしまいました。一頃より名前を聞かなくなったと思ったら、今はアメリカに住んでいて活動の拠点が海外中心なのですね。むしろ、今では国際的な音楽家としての知名度が十分高まっているようです。
喜多郎のような音楽が逆に海外で認められて、活動の拠点が海外に移っていくというのはなんかわかるような気がします。喜多郎の持つ自然回帰のような思想、仙人のような風貌^^;、その音色や扱うテーマが日本や東洋の芸術観に根ざしていて、それを西洋人が最もわかりやすい形で提示している、ということなのでしょう。残念ながら日本でやっている限りは、そのわかりやすさが仇になって、音楽的な評価を得られにくかったのではと想像します。
喜多郎が番組中にシンセサイザーの音を紹介していたのですが、そこで使われていた楽器は20年ほど間のアナログシンセ。彼自身もその楽器を今でも大切に使っていて、当時のアナログシンセの音にこだわっているようです。

私が最初にシンセに興味を持ったのは、高校時代に友人から貸してもらった二本のテープからでした。一本は喜多郎の「シルクロード」、そしてもう一つは冨田勲の「月の光」。しばらくは聞きやすい喜多郎の音楽のほうが好きだったのですが、何度も聴いているうちに冨田勲の幻想的な雰囲気にだんだんのめりこんでいきました。そしてその後、私は冨田勲にすっかりはまってしまったのです。
今でも私がクラシックを聞くきっかけになったのはこの冨田勲のおかげだと思っています(もっとも、私は熱烈なクラシックリスナーではないのですけど)。冨田勲から始まったクラシックの興味は、ドビュッシー、ラヴェル、ムソルグスキー、ストラヴィンスキー、プロコフィエフにつながっていきました。そして、これらは今でも私のクラシックの原体験となっています。

喜多郎にしろ、冨田勲にしろ、当時のシンセ音楽を語るときにさけられないのはアナログシンセの世界です。
当時、ムーグシンセサイザーというのがあって、これはとてつもなく高価で、馬鹿でかいシステムだったのですが、冨田勲が部屋いっぱいにこのムーグシンセを置いて、操っている姿に私は憧れていました。
今のシンセはもちろんほぼ全てデジタルシンセです。旧来のアナログシンセ的なモデルもありますが、中身はデジタルでアナログシンセをシミュレートしているわけです。もちろん、マイコンが発達し、DSPが発達した現在では、電気回路でシンセを組むなどコスト的にもとても商品にはならないわけですが、一見使いにくそうなたくさんのつまみやレバーがあるアナログシンセのほうが旧来のシンセ奏者に人気があるのはわかるような気がします。
実際に私がシンセを買ったのは大学のときでした。当時大流行だったYAMAHA DX-7です。これは、実用価格で売られたほぼ始めてのデジタルシンセで、しかもアナログ方式と全く違う音作りの方法でした。今考えると、これがシンセの大きな岐路だったのかもしれません。つまり、デジタルになって扱うことのできるパラメータは圧倒的に増えたわけですが、あくまで感覚的に音楽を作ろうとしていた人たちには音を作る作業そのものの自由度が上がりすぎて、大きな負担になってしまいました。そして当時、マニュピュレータなどと呼ばれて、専用の音作り屋などが現れていました。
その後、私見では、シンセの音作りの可能性そのものが商品の魅力だった時代から、既存の楽器の置き換えとしての万能楽器に変わっていったように私には思えます。デジタル化は、確かに多くの可能性を我々に開放しました。これはシンセに限らず、何にでもいえることなのですが、残念ながらこの圧倒的なパラメータは、我々に操作する気持ちを萎えさせます。そして、気がつくと与えられたデータをそのまま利用する、という使い方が中心となっていきます。
20年以上前のアナログシンセは、技術的な知識がそれほどない人でも、霊感と創造性に富んだ人なら自分で新しい音を作り出せる、その範囲内にうまく収まっていたのだと、今にして思えばそう感ずるのです。そして、今でもそういった過去の機材を使って、音楽活動をしているシンセ奏者を見ると、あらためて技術の進歩とは何なんだろう?とふと立ち止まって考え込んでしまうのです。


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