合唱祭の企画(01/3/17)


先日の関東合唱祭は関東各県の代表が集まる形でしたが、我々にとって身近なのは県や市の合唱連盟が行う合唱祭です。
この合唱祭という企画はあちらこちらでいろんな議論をされているものと推察します。
特に問題なのは、お客の入り。年の一度の晴れ舞台だというのに、ステージに立ったら客席にはほとんどお客はいないってのは良くある話です。せいぜい講師の先生に批評をいただくくらいしか自分たちが歌った痕跡が残りません。
本来なら、合唱が好きで集まっているわけですから、出演した人たちも自分たちの出番が終わったら後の団体の演奏を聞いているものだと普通は思うのでしょうが、実際には自分たちの演奏が終わったらさっさと帰ってしまうのが実態でしょう。一つには各団員の合唱音楽に対する意識の低さが原因だと思います。ポップスやその他の流行の音楽に興味はあっても、合唱音楽そのものに興味を持っている人は実は必ずしも多くありません(特に女性は!)。
もう一つの理由は、合唱祭に集まる団体の特色やレベルがまちまちなことだと思います。合唱が扱う音楽のジャンルは相当幅広いです。古くはルネサンスから、バロック、ロマン、近現代、邦人とそれぞれ音楽の特色は違いますし、同時代のものでもポピュラー、ゴスペル、ジャズなどによって聴く人が受ける印象は全く違います。若い女性6人がゴスペルを歌ったりするのと、ママさんコーラスが古い唱歌を怪しい(^^;アレンジで歌ったりするのと、混声でパレストリーナのミサを歌ったりするのと、そんな団体が入れ替わり立ちかわり出てくるわけでこれは聞くほうもかなり厳しいものがあります。
最近は、演奏団体が客席で聞いていて、自分の出番になったらステージに上がって歌う、といった形の合唱祭も多いようです。もちろん、これは見た目には客が非常に増えるわけですが、個人的には好きではありません。一つには歌い手のコンディションが保てないことが挙げられます。リハーサルをして舞台袖で待機すればいやがおうにも本番への緊張が高まります。特に歌うのであれば本番直前まで、発声などをして準備をしておきたいわけで、本番前に他の団体を落ち着いて聞くというのはやはり無理があります。それにこのやり方は、集まる人を無理やり会場に入れて客がいるように見せかける、という発想のような気がして根本的な部分で共感できません。

そもそも客が入らないのは、誰も聞きたくないからではないか?という問いをする必要があります。
じゃあ、聞きたくなる演奏とは?と来るわけですが、その前に人が集まるようなイベントの方式にする必要があると私は思うのです。
イベントの質は思いがけないところに現れます。会場の受付、プログラムの内容、あるいは本番の司会など。通常はこういった仕事は裏方も含めてほぼ連盟のボランティアです。私はこういった一部の人がその責任感だけで無償でやっているという状況が好きではなくて、例えば運営に不満があったとしても、とても文句を言える状況ではなくなってしまうからです。
ならば、お互いがはっきり言いたいことをいうためにも、イベントが出来る業者をそれなりの経費をかけて使うべきだと考えます。
そしてその収入を得るために、合唱祭はちゃんと入場料を取って、事前に参加団体にそれなりのチケットノルマを課すようにしたらどうでしょうか。
もう一つ言いたいのは、もっと参加団体を減らして、各団の演奏時間を増やすこと。あるいは演奏会全体のテーマを決めて参加団体を募るような方式にしたい。聞く側の心理を考えれば、演奏会としてあまりに長くてもいやだし、先ほど言ったように演奏内容が全くバラバラなのもいやでしょう。
ですから、参加団体を考える段階で、合唱祭の性格をはっきりさせる必要があります。

要するに私の考えることをまとめていくと、複数団体のジョイントコンサートに近い形になり(合同ステージを持ってもいいし)、そのコーディネートを連盟が、そして企画運営を専門の業者が、ということになります。
しかし、聞く側と歌う側のバランスを考えれば、そういう形にしていくのが、まず人が集まるイベントの前提であるような気がします。



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