不思議な権力構造(01/2/17)


それにしても日本の首相の権威のなさはなんなのでしょう。
私はここで特に現首相の資質の問題を言うつもりはないのです。むしろ、こういう人が簡単に首相になれて、また簡単に首相を辞めさせられるというようなことができる仕組みがとてもおかしいと思うのです。
結局のところ、日本の元首というのは他の国々の元首が持っているような「権力」を持っていないように見えます。必ずそこには与党内の影の実力者の存在が垣間見えます。逆にアメリカの場合、大統領に権力が集中するからこそ、1年かけてじっくり選び、そして最低4年という期間はその人に政治を任せるわけです。今の世の中の流れからいえば、どちらがよいかは言わずもがなでしょう。

ちょっと広い目で見てみると、日本の歴史というのは、この権力の相対化、二重化というのが頻繁に起こっているように見えます。つまり表向きの権力者、元首が必ずしも実質的な権力者と一致しないというような状態のことです。
今、大河ドラマでやっている「北条時宗」なんかも、外国人から見たら、すぐには理解できないんじゃないかなと思います。そもそも、政治の実権を握っている北条得宗家とはどういう地位なのか、明確に説明できるでしょうか。
初めて武家政権をうち立てた源頼朝は、天皇家を滅ぼし自ら天皇になることはありませんでした(無論、その前の平家も藤原氏も同じですが)。そればかりか、表向きは天皇から征夷大将軍という役職を任じられることによって、政治権力を握るわけです。どう考えても朝廷側が自分の権力をすすんで手渡したとは思えず、半ば脅し取ったような形だと思うのです。結果的に、ここで権力の委譲が起こるわけですが、この時点での日本の元首は誰なのか、誰も明確に規定できず、不思議な権力の二重構造が生まれます。
さらに事態を複雑にしているのは、この将軍という地位さえも相対化され、形骸化されたということです。これは、頼朝の側近であった北条氏の権力欲から起こったことだと思うのですが、頼朝の死後、源氏の系統を絶えさせ、お飾りの将軍を立てることによって政治権力は将軍から執権に移りました。
なら、なぜ北条氏は将軍にならなかったのか?多くの日本人なら、ならない雰囲気も何となく理解できると思いますが(北条氏が将軍になろうとすれば、多くの御家人が反発するに違いありません)、外国人から見ればそれはかなり不可解に映ることでしょう。
天皇が政治権力を取り戻そうとした動きはその後、何回もありましたが、結局は戻ることはありませんでした。
比較的、権力の存在が明確だったと思える江戸時代でさえ、将軍継嗣問題が起こった時に朝廷からお飾りの将軍を立てようという動きがあったとも言われています。

それに比べれば極端に違うのは中国の歴史です。
中国の皇帝はほぼ常に権力の中枢ですし、権力が違う者に移ったら、それはすなわち王朝が変わることを意味します。もちろん、ケースバイケースだとは思いますが、全体的に見ればそのように言うことも可能でしょう。
そのような中国の王朝の変遷から比べれば、日本のように一王朝が歴史の始まる時点からずっと続いているというのは全く逆ですし、世界的に見ても極めて稀なケースのように思えます。
なぜ、そんなことになるかは浅薄な俄か歴史マニアの私には到底答えが出ませんが、我々日本人の中に、伝統や形式を重んじて、その結果実質的な状態と違っても、それをドラスティックに修正しようとしない性質があるのは確かです。
そのような状態が放置され、ひずみが最大限までたまらないと事が起きないのは、平和に生きようとする民族の知恵かも知れませんが、急激に変化する現代の世界状況においては、やはりよいことだとは思えないのです。


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