浜松バッハ研究会ドイツ演奏旅行記(01/1/13、1/20)


年末年始にかけて、浜松バッハ研究会のドイツ演奏旅行に参加しましたので、今回はこの旅行について報告いたします。
全体を 1.概要2.演奏会3.教会訪問4.各地観光5.感想など、に分けてご紹介いたします。写真もたくさんとってきたので、適宜入れていきます。
なお、ここで書いた内容は全て私個人が思ったこと、考えたことであり、バッハ研究会の公式な報告ではないことをここにもうし添えておきます。また、間違った内容があったら連絡ください。


1.概要
浜松バッハ研究会は10数年前に創立されたバッハを中心に歌う合唱団です。
このバッハ研究会ですが、豊橋バッハアンサンブルという姉妹合唱団があって、演奏会でもいつもご一緒しています。今回も豊橋との合同での旅行となりました。
またオーケストラは、バッハ研究会の演奏会でいつも演奏してくれているメンバーがおり、こちらはバッハ研として特に組織されているわけではないのですが、浜松交響楽団など、浜松近辺で活躍されているアマチュア演奏家の集まりで、アマチュアとはいえかなりの実力者ぞろい。また、コンサートミストレスとして北川先生、オルガンに花井先生などプロの方を配し、要所をしめてもらっています。
そして、指揮者は10年近くバッハ研を見ていただいている三澤洋史先生。この人なくしてバッハ研の音楽はありませんし、音楽はもちろんのこと、それにまつわる様々な知的、精神的支柱といってもいいでしょう。

今回の参加者は、浜松バッハ研の合唱団から約20名、豊橋から約10名、また名古屋、北九州などのバッハ好きの人達数名が参加し合唱団全体が40名弱、またオーケストラが20名ほど、それからオルガン、ソリスト(今回は全員20代!の若手)、指揮者などの先生方、また演奏はしないけれども、今回の旅行に同行した関係者を含め全体で80名ほどの団体旅行となりました。

全体のおおかまな日程を紹介します。
12月29日
   4:00浜松発
   12:50 成田発
   16:55 フランクフルト着
   22:00 エアフルトのドリントホテル着
12月30日
   エアフルトにて終日練習
   ドリントホテル宿泊
12月31日
   アルンシュタット近くのバルトロメ教会訪問
   アルンシュタットのバッハ教会にてジルベスタコンサート(モテット6番、カンタータ171番)
   ドリントホテルで年越しパーティ?
1月1日
   アイゼナハのゲオルグ教会で新年のミサに参加。聖歌隊に乱入し、クリスマスオラトリオから数曲を一緒に歌う
   アイゼナハのバッハハウス見学
   エアフルトに戻ってカウフマン教会にて練習
   ドリントホテル宿泊
1月2日
   エアフルトにて午前中自由
   午後からエアフルトのシャウシュピールハウスのホールでロ短調ミサ演奏会
   ドリントホテル宿泊
1月3日
   ワイマール観光(ゲーテハウスなど)
   ナウムブルグのヴェンツェル教会訪問
   ハレのマリティムホテルに宿を移す
1月4日
   ハレにて午前中自由(ヘンデルハウスなど)
   マルクト教会にてロ短調ミサ演奏会
   マリティムホテル宿泊
1月5日
   ライプツィヒに移動
   トーマス教会でリハ、及びミサ本番(モテット6番、カンタータ171番)
   ホリデーイン宿泊
1月6日
   ライプツィヒにて午前中自由(ショッピング、バッハ博物館
   トーマス教会でリハ、及びミサ本番(モテット6番、カンタータ65番)
   打ち上げ
   ホリデーイン宿泊
1月7日
   アイゼナハのヴァルトブルグ城見学
   17:30 フランクフルト発
1月8日
   15:45 成田着
   22:30 浜松着

ちなみに日本とドイツの時差は8時間です。
日程を見ておわかりのとおり、演奏会5回と、各地観光でかなりのハードスケジュールでした。自由時間はそれほど多くはなかったけど、ほんのすきまの一時間とかに街を散歩したりするなど貧乏根性で随分歩き回った気がします。


2.演奏会
ここでは、今回のそれぞれの演奏会について書いてみます。

バッハ教会でのジルベスタコンサート(12月31日)
アルンシュタットのバッハ教会と名づけられたこの教会で、大晦日の日にコンサートを開きました。ジルベスタとはドイツ語で大晦日という意味らしく、その日のテレビ番組の一覧でもジルベスタ○○みたいな言葉がたくさん書かれています。
今回のツアー最初のコンサートだったわけですが、教会の響きに助けられて気持ち良く歌うことが出来ました。ベース陣はちょっと気負いすぎて、ついつい演奏が走りがちでしたが。
コンサートになったとき、3階くらいあるこの教会の席はほぼ満席。特に、2階、3階の両側のバルコニーっぽい座席から身を乗り出して見てくれた観客までいたりして嬉しかったです。もちろん教会ですから、音楽を聴くためにわざわざやってくるような聴衆よりは、日頃礼拝のために教会に通っている人達もいるわけで、我々の演奏を聞いてもらうにはもってこいのシチュエーションなんだな、と感じました。しかし、実はこの日のコンサートが後で考えると一番観客が多かったのかもしれません。
演奏会の曲目は、モテット6番、カンタータ171番。この演目の間に、それぞれ教会のオルガニストの演奏が入りました。
カンタータ171番は新年のミサのために書かれたもので、この後トーマス教会でも演奏しました。




ロ短調ミサ演奏会(1月2日、シャウシュピールハウス、エアフルト)
今回、唯一のホールでの演奏会。このシャウシュピールハウスは12月30日の練習でも一日使ったのですが、教会に比べるとあまりに残響が少なく、ついつい声を張りがちになります。ホールといってもキャパは500弱くらいですがちょっと多目的っぽくて、実は反響板もなかったのでした。練習時は男声後ろの並びだったのですが、あまりに後ろの声が届かなくて、この日に横からB,S,A,Tの順に並ぶよう変更(男性が女声をサンドイッチする形)。
さて、開演の合図がなっていざ舞台に立ってみると...悲しいくらいの、お客の少なさ。多分、舞台にいた人数と同じくらいの観客数だったのではないでしょうか。やはり、いくら音楽の本場ドイツとは言え、積極的にチケットをさばく人がいたわけでもなし、日本の聞いたこともない団体の演奏を聞こうと思う人はさすがに少なかったらしい。まあ、考えてみれば当然のことのような気もします。
演奏のほうは、前半の Kyrie, Gloria では、各パートともそれなりに気合が入っていて、響きの少ないこのホールの中でなんとか頑張っていたように思います。休憩をはさんでから Credo以降、疲れが見え始めました(特に今回は立ちっぱなしだったので)。フーガの入りの高い音程とか、かなりやばくなってきます。またテンポの遅い、レガートな曲でピッチがだんだん保てなくなるのが歌っていてわかりました。
ちょっと出来としては厳しい内容だったかもしれませんが、その中で若手ソリスト陣が美声を聞かせてくれて、こちらのほうはなかなか良かったのではと思います。
こんな演奏でしたが、数少ないお客の反応は概して良いものでした。この日、エアフルトの市長(?)が演奏後、壇上に上がり、こういった形で音楽で友好が深まることは素晴らしい、というような話をされ、その後お客は完全なスタンディングオベーション状態に。
これは、今回の演奏旅行全体に感じたことなのですが、私たちが恐れるほど演奏の細かい内容を厳しく聞き取ろうなどという聴衆はほとんどおらず、むしろドイツの誇る音楽家バッハを愛する人達が、遠く日本の地にて活動していて非常に熱心に演奏してくれている、そういったことに対して敬意を表してくれたのではないか、とそんな気がしたのです。だから、私たちがドイツの観客にそれなりにインパクトを与えることが出来たのも、まさにバッハ故ではなかったかとそう思うのです。



ロ短調ミサ演奏会(1月4日、マルクト教会、ハレ)
さて、私自身は二日前のロ短調のリベンジ!のつもりで望んだ、2回目のロ短調演奏会。
この日はハレのマルクト教会での演奏です。教会ですから、今回は残響はばっちり。無理にがならずきれいな声をふっと飛ばしてあげればきれいなハーモニーになるはずです。
高い天井と奥行きのあるこの教会に、椅子は300〜400ほど並べられたのでしょうか。全体的に暗めな感じで、なんだか厳かな気分にさせられます。教会なので控え室になるような部屋がなく、道を隔てた向かいの建物の一室が控え室になりました。
今回は、非常に響きが良いので、女声が前、男声が後ろの並びに戻しました。パートが横に長くなり、細かいメリスマでのテンポのずれが心配ではありましたが、だんだん息の取り方が合ってきたのか、練習も本番もかなり良かったのではと思います。
さて、本番でのお客の入りですが、全体では200人くらいでしょうか。席は前から順に埋まっていって、後ろの席はかなり空いていたものの、近くの席は完全に埋まっていたので満席感は十分ありました。
演奏も、残響のおかげで力みが少なく我々の力としてはかなりのものだったと思います。ただ、あの一箇所を除いては....
前回もかなりピッチが怪しかったのですが、Credo の終盤、Confiteor の終り頃オケがかなり薄くなり、テンポが落ちる場所があります。音量も小さく、しかも合唱が全体的に高い音程を歌わねばいけないのです。ここで、良く響くがために安心してしまったのか、合唱団全体で恐ろしくピッチが下がってしまったのです。Et Expecto ... とテンポが上がり盛り上がる場所で、私は恐ろしい体験をしました。自分が信じて歌っていたピッチより半音くらい高くオケが入り始めたのです・・・・
少なくとも、この部分に関しては音楽として完全に破綻していました。なんとか気を取りなおして最後まで歌いきったものの、これが自分にとって演奏の大きな傷に感じてしまいました。
さて、この演奏会でも観客は素晴らしい反応をしてくれました。最後にはやはりスタンディングオベーションでした。
教会に響いた我々のロ短調ミサが、ちょっとした音楽的破綻があったとしても、ハレの、ドイツの人々になんらかの印象を与えることができたのは確かなようです。



トーマス教会ミサ(1月5日)
ライプツィヒのトーマス教会は、バッハがその後半生を捧げた場所として有名。そして、このトーマス教会はバッハ信者にとって聖地といってもいい場所です。トーマス教会の横には、大きなバッハ像があり、そしてバッハ博物館があります。バッハグッズショップもあり、あたりはバッハ一色の状態になっています。
そして、このトーマス教会で演奏することが、今回の演奏旅行での大きな目的の一つでした。
さて、このトーマス教会での演奏は、いわゆる演奏会ではありません。トーマス教会で行われる礼拝の中での演奏となります。私は礼拝について詳しくはないのですが、今回の例では、まず始めの言葉->オルガン演奏->モテットの演奏->コラールの演奏(多分会衆も一緒に歌う)->お説教->カンタータの演奏、といった感じで進められました。
礼拝ですから、拍手はありません。ただし、カンタータが終った時点で、私たちに向かって会衆の皆さんから拍手が起こりました。
ミサで演奏する場合、祭壇の向かい側のオルガンがある周辺の2階席がオケと合唱団のいる場所となり、こちら側からは1階にいる教会に礼拝に来た人達はあまり見えません。従って、観客の入りはあまりわからなかったわけですが、演奏会ではないのですからそれは大きな問題ではありません。
演奏のほうは、すでに演奏している曲(モテット6番、カンタータ171番)ですので危なげなく出来たと思います。ただ、トーマス教会のオルガニストからは、少し気負って頑張りすぎているようなので、もう少し力を抜くように言われました。確かに、今回の旅行を通して、ベースは特に気負いすぎていたかもしれませんね。
もう一つ、リハーサルのときオルガニストから歌詞が間違っているとの指摘。よくよく調べてみると歌った歌詞は合っていたけど、発音が悪くて違う言葉に聞こえたという恥ずかしいオチ。



トーマス教会ミサ(1月6日)
トーマス教会では今回2回の演奏の機会がありました。二日目はカンタータ65番を演奏。手元のバッハ事典(礒山先生にもらった^^)によると、この曲の初演は1724年1月6日とあります。つまり、我々は277年前の同じ日に初演されたカンタータをトーマス教会で演奏したというわけです。
この日も前日のミサの流れとは特に違いはなく、カンタータの曲が変わっただけでした。
前日で役目を終えた女声ソリストが合唱団に加わったせいもあったのか、この日のモテット6番の出来は今回の演奏旅行で白眉だったのではないでしょうか。かなり歌いなれてきたので、タイミングもぴったりだったし、響きのある教会で力が抜けて演奏できました。
この日もミサの後多くの拍手をいただき、最後の演奏を飾ることが出来ました。


3.教会訪問
今回は演奏会で教会を使っただけでなく、その他の教会もいくつか見学に訪れました。
トーマス教会、ゲオルグ教会では、礼拝に演奏者として参加して、「なんとなくクリスチャン」状態。しかし、直に触れたドイツでの礼拝の雰囲気は忘れがたいものになりました。

バルトロメ教会(ドルンハイム)
アルンシュタット近郊ドルンハイムにあるバルトロメ教会。なぜ、ここに見学に来たかというと、ここでバッハは結婚式を挙げたからです。それほど大きい教会ではなく、雰囲気は村の小さな教会という感じ。
我々の訪問でこの教会の方々はかなり喜んでくれたのか、張り切って牧師さんはいつまでも延々とバッハが結婚した時のエピソードを語ろうとします。また、最近出来たというオルガンを花井さんが演奏。これに合わせてモテット6番を歌う一幕も。
帰り際に、熱いワインを配られて、「これから本番なんだけどな」といいつつも、思わず一口。


バルトロメ教会の祭壇(左)とオルガンを弾く花井さん(右)



バッハ教会(アルンシュタット)
ジルベスタコンサートの会場となったバッハ教会。ここは、若きバッハが音楽家としてキャリアを歩み始め、作曲を始めた頃にオルガニストとして務めていた教会です。
中は全体的に白が基調のファンシー風。割と正方形に近いのか、どこにいても全体を見渡せるほどです。手を叩いてみましたが、実は残響がそれほど長くはなく、この音の豊かさはどちらかというと密度の問題なのでしょう。
このとき、男声は祭壇近くの2階の小さな部屋で着替えたのですが、ガラス窓だったその部屋は男声が着替えている様子が丸見えだったとか。
時はおりしも、年の変わり目。教会ではコンサートをしているというのに、外ではクラッカーの音がやかましく、コンサートを終えてバスに戻るときもクラッカーを投げつけられたりしました。


バッハ教会入り口(左)、客席から祭壇側に向かって(右)



ゲオルグ教会(アイゼナハ)
新年1月1日、この日は全員ではないのですが、ゲオルグ教会の新年のミサに参加しました。また、合唱団で何人かはあらかじめクリスマスオラトリオの中の数曲を音取りしておいて、このミサの聖歌隊に加わることになっていました。
私もこの合唱隊に参加。本当は正装していくべきだったんですが、別に見えないからいいよ、と言われ、礼服を持っていかなかったら、なんだか一人だけオレンジ色のセーターでちょっと気になってしまいました。
なんと、その日は聖歌隊にベースが一人もおらず(実はオーケストラもいくつかの楽器が足りなかった)、我々が来てちょうどラッキー、みたいな感じなのでした。最後に近くの聖歌隊のおばさんが気軽に英語で話し掛けてくれたりして、気さくな感じが嬉しかったです。
こちらの礼拝は、いくつかの賛美歌を会衆が歌う、本格的なもの。説教もなかなか迫力がありました。(ただし、何言っているのかはさっぱりわからず
ゲオルグ教会はバッハが洗礼を受けた教会で、バッハ一族の牙城とも言える場所です。壁には、ゲオルグ教会の歴史などがパネルに書かれていましたが、もちろん中身はわからず


ゲオルグ教会入り口(左)、祭壇反対側のオルガンを下から(右)



カウフマン教会(エアフルト)
旅行前半に泊まっていたエアフルトのドリントホテルの真正面にある教会。
なあーんだ、ここで練習出来るなら近くて嬉しいや、などと思っていたのですが、実は冬場はここの教会は使わないらしく、全く人気のない空間だったのです。何が練習で辛かったかと言えば、ほとんど外気と同じくらいの教会の中の寒さ。みんな、完全防備で練習です。
それにしても、この寒さの中で良くロ短調を一通り通してしまったものです。


ドリントホテルから見たカウフマン教会


カウフマン教会での練習風景



ヴェンツェル教会(ナウムブルグ)
1月3日ワイマール観光を終えた後、バスでナウムブルグのヴェンツェル教会を訪問。
ここにはつい最近復元されたという立派なオルガンがあります。そこで、ここのオルガニスト+花井さんにオルガン演奏をしてもらうことに。しばしの間、荘厳なオルガンの音を楽しみました。ここでも突発的にモテット6番を歌いました。
何しろ、この教会は天井が高くて、素晴らしい残響でした。
やはり教会内はだいぶ寒くて、トイレには行列が出来ましたけど。


ヴェンツェル教会の建物(左)と自慢のオルガン(右)



マルクト教会(ハレ)
ハレの旧市街の中心部にある教会。ハレといえば、ヘンデルということらしく、中央広場にはヘンデルの像があります。
ヘンデル像の向かい側にあるのが、このハレのマルクト教会。上の演奏会の項でも書きましたが、全体的に古い石の作りで夕方になるとかなり暗めになります。電灯に照らされたこの教会の演奏会の雰囲気は、なんとも厳かな感じとなりました。
ハレとバッハの結びつきといえば、ハレへの転任騒動、というのがあります。
これはこのマルクト教会のオルガンの素晴らしさに魅せられたバッハがここのオルガニストに応募して、その結果難なく採用が決まったのですが、ここの給料の安さにバッハがこの採用を蹴ったのです。この結果、ハレの当局者は「ワイマールの給料の釣り上げに利用された」とカンカンに怒ったとか。
この日のコンサートでも、挨拶にたったハレの方がこの話を紹介していました。


マルクト教会で舞台側からオルガン、客席のほうを向いて



トーマス教会(ライプツィヒ)
さて、バッハ好きにとっての聖地、トーマス教会です。バッハはこの地にて1723-1750年の間、この教会のカントールを務めていました。
そんなことを言っていると、まるで私もトーマス教会を聖地だと思っているようですが、今回の旅行で初めてここに来てから聖地だと思うことにしました^^;。何と言っても、立派でビッグなバッハの像がいやでもその雰囲気を高めます。
しかし実際のところ、トーマス教会自体は、これまで見てきた教会に比べると、それほど見た感じは荘厳ではありません。白い天井に安っぽくペンキで塗られたようなオレンジ色の梁が妙な雰囲気。ただ、この教会の内部の雰囲気は、すでにバッハ時代のそれではなく、1884-89年での改装によるものらしいのです。祭壇の向かいにあるオルガンも1889年に作られました。
しかし、バッハの幾多の名作がこの場所にて着想され、演奏されたというのは感慨深いです。マタイのあの二重合唱も、オルガンの両側にある合唱団の席で歌われたわけですね。
ちなみにバッハイヤーの2000年になって、このトーマス教会の新たな改修計画が決まったようです。それに先立ち、教会の横側に新たにバッハオルガンが作られました。これはバッハのオルガン作品を演奏するために作られたようです。
現在のカントール(教会の音楽監督)はゲオルグ・クリストフ・ビラーさんで、演奏会の後、団員にサイン責めにあっていました。えっ、私はそんな恥ずかしい真似はしませんよ。


バッハの遺体が眠る祭壇(左)、オルガンのある2階席で演奏(右)



バッハオルガンのコンソール



4.各地観光
演奏漬けの毎日ではありましたが、観光もしっかりしてきました。私が訪れた、旧市街の美しい街並み、博物館などを紹介します。

エアフルトの街並み
今回訪れた街、エアフルト、アルンシュタット、アイゼナハ、ワイマール、ハレ、ライプツィヒはいずれも旧東ドイツの都市で、ドイツでも中央から東よりに位置します。東側といっても当初思っていたイメージとだいぶ違って、古くからの伝統ある街並みに多くの人が行き交う、活気溢れる感じがありました。もちろん、この程度の期間の観光では表面的な部分しか見えませんし、本当の当地での生活がどんなものかは知る由もないのですが。
これらの旧市街と呼ばれる古い街中には車は渋滞するほどたくさんは走っておらず、路面電車の線路があちこちに通っていて、市民の足になっています。街には百貨店やスーパーみたいなものは一通りあるし、マクドナルドやバーガーキングなどの西側資本の店も少しずつ増え始めているようです。土日は休む店が多いですが、ドイツ統一以来西側の影響で、休みの日も開いている店が多くなってきたのだとか。
今回訪れた街の中でもエアフルトは、古いたたずまいがそのまま残っているとりわけ美しい街でした。街の区画がきれいに四角になっていなくて、どの道もちょっとくねっています。石畳の道と古い建物の連続が迷路のように道行く人を取り囲みます。


エアフルトの小路


街の中心は大聖堂とその周辺のドーム広場。12月31日の朝にちょっと散歩して、大聖堂のそばの高台に上って、エアフルト全体を眺めてきました。小雪がぱらつく寒い冬の朝でした。


高台から眺めたエアフルトの街並み



バッハハウス(アイゼナハ)
1月1日、アイゼナハのゲオルグ教会に行って昼食をとった後、近くにあるバッハハウスを訪ねました。
ここはバッハの生家と言われている場所で、中にはバッハ時代の楽器や、バッハが育ったと思われる部屋が再現されています。楽器がたくさん置いてあるメインの部屋で、バッハハウスの案内人がそこにある鍵盤楽器を弾きながら紹介してくれました。もちろん、何を言ってたのかはさっぱりわかりませんが
かなり古い楽器にもかかわらず、愛らしい音色を響かせていました。ここで弾いたチェンバロは本当に蚊の鳴くような小さな音でした。
チケット売り場兼売店では、我々日本人集団がおみやげを買いあさり大変な騒ぎ。


バッハハウス入り口にて



ゲーテハウス(ワイマール)
1月3日、ワイマールを訪れました。自由時間は10:30〜12:00の1時間半。そこで私はゲーテハウスを訪ねることにしました(この他にワイマール宮殿、シラーハウスなどもあったがパス)。
「ウェルテル」「ファウスト」など一般には文学で知られるゲーテですが、実際には政治や科学、建築など様々な分野に業績を残しています。このワイマールのゲーテハウスは死ぬまでの50年間を暮らした場所です。
ここには、たくさんの部屋があり、それぞれ用途毎に分けて使われていました。ゲーテが収集した美術品が並べられている部屋や、文筆活動を行った仕事部屋、そして夥しい数の本がある図書部屋などを見学。
ここでも、売店でゲーテグッズをいくつかゲット(「若きウェルテルの悩み」の原著、ゲーテマウスパッド)

ハレの街並みと塩の博物館
1月4日の午前中はハレの街で自由行動。
ここは、マルクト教会とその広場を中心とした古い街並み。ここでも路面電車が縦横無尽に走り、市民の足となっています。
ハレのメインの広場には大きなヘンデルの像。音楽好きにとってハレといえばヘンデルの生地なんですね。



ヘンデル像と私



ハレは塩の産地としても有名らしく、ちょっと町外れにある塩の博物館にまずいってみました。
ところが、どこが入り口かわからずしばらく建物の周りをうろうろ。窓から見ていたのか、博物館の人がドアを開けてくれてようやく入れました(ほとんど開館直前の時間だった)。入っては見たものの、その人には英語が通じません。入館料とかいらないのかなあ、と思いながらも勝手に中を見学し始めました。当然、ドイツ語がわからず何が書かれているのかはさっぱりわかりません。ここは音楽とも何にも関係なかったので、さすがにあんまり面白くなかったです^^;。
その場でお土産用に塩を10袋も買い、あとで袋の紐が切れたりしてひどい目にあいました。後で聞いた話では、そこでは入館料はいらなかったようです。少しほっとしました。


マリティムホテルからハレの中心部に向かう旧市街の街並み



ヘンデルハウス(ハレ)
塩の博物館の後、ヘンデルハウスに行きました。
だいたい○○ハウスといった類の博物館はどこも入り口が立派でなくて、見た目はただの家みたいで、なかなか探すのに苦労します。ヘンデルハウスに行くのも少し道を迷って、そのあたりをうろうろしてしまいました。
ただし中は結構見る場所が多かったです。ただ、パネルの説明がやはり全てドイツ語で何もわからず。どうも見た感じの雰囲気では、ヘンデルに関することだけでなく、古楽も含めてドイツの音楽史全般についての説明が書かれていたようなのです。
あとで知ったのですが、しかるべき人に頼むと、日本語の説明を流してくれたとか。それを早く言ってくれ。



ヘンデルハウスの中庭にて



ライプツィヒの街並み
ライプツィヒは東部ドイツではベルリンに次ぐ大都市。私たちが泊まったホテル、ホリデーインの正面にある中央駅は非常に巨大な駅で、中にあるアーケード街には小さな商店が並び、格好のショッピング場所となりました。駅の表側は大きな古い建物なのに、中に入るととたんに近代的な商店街。こういったアンバランスさがどこの都市でも見られます。
中央駅は四角形のライプツィヒ旧市街の一つの角に位置します。ライプツィヒの旧市街は旧といっても、他の都市より近代的な雰囲気が少し感じられます。碁盤の目のような通りの作りのせいなのかもしれません。中央のマルクト広場近くにあるアーケード街にも、小さな店がたくさんあって、かなり賑やかな街です。5日の夕食は自由だったので、4人でこのアーケード街にある(なぜか)メキシコ風居酒屋で食事をしました。


ライプツィヒのマルクト広場



バッハ博物館
6日の午前中は自由行動。9時半を待ってアーケード街でショッピングした後、トーマス教会の目の前にあるバッハ博物館に行きました。
ここでも説明文はやっぱりわかりませんでしたが、バッハの自筆楽譜がたくさん展示されていて、結構興味深いものがありました。あとは、バッハの楽譜に非常に造詣の深いペータースの紹介や、そのロゴの変遷なども展示されています。
近くのバッハグッズショップではトレーナーとCDをゲット。しかし、東ドイツの物価からするとこの価格設定は随分ボッている気もしないではありません。


トーマス教会とバッハ像(この反対がわにバッハ博物館)



ヴァルトブルグ城(アイゼナハ)
全ての演奏の日程を終えた最終日の1月7日、夕方フランクフルト空港を発つまで、再度アイゼナハに立ち寄り、このヴァルトブルグ城を訪れました。
アイゼナハから少し外れた山の中にヴァルトブルグ城はそびえたちます。この城の上まで来ると見晴らしが良く、遠い町々を一望することができます。城というだけあって、日本の戦国時代のように遠くから敵が来るのを知るためにこんなところに建てたのでしょうか。
ここの城にはいくつかの見所があります。
まずは、1211年より始まる聖女エリザベートの献身。この城に嫁いだエリザベートが慈善活動をしたその様子が多くの絵画になって、飾られています。
次にワーグナーのタンホイザーの話の元ネタである歌合戦が行われたのがこの城。歌合戦の部屋と、そのときの様子が描かれた絵を見ることができます。この絵では、死刑にされそうになった歌合戦の敗者が命乞いをする様子が描かれています。
それから、宗教改革のルターが一時隠れていたのがこの城。この城の中で新約聖書のドイツ語の翻訳が行われました。そしてそのルターが翻訳した部屋が再現されています。
なんと今回は日本語ガイド付き(といってもドイツ人がカセットテープを回しながら案内)で、最後の最後にようやく中身のわかる観覧が出来たのでした。そしてそのガイドが終ったあとに残った最後の部屋は資料館のようになっていて、ここに置いてあるものも珍しいものばかりでした。
このようにこの城は幾多の伝説を持っており、観光地としては充分に楽しめます。風景も美しく、最終日でここに来れて本当に良かったと思います。(世界史の知識がもう少しあれば、もっと楽しめたかもしれませんが)


ヴァルトブルグ城から眺める風景(左)、聖女エリザベートの伝説を描いた黄金の壁画(右)



5.感想など

ドイツへの演奏旅行、それもバッハがカントールを勤めたトーマス教会での演奏。
最初にこれを聞いたとき、私の率直な意見は、「とてもそんなことが出来る分際じゃないし、もう少しレベルの高い演奏しないとドイツの人にとても聞かせられない」ということでした。
それでも、今回の演奏旅行が思いがけず好評を持って迎えられた(と思われた)のは、一にも二にも「バッハ」というこの一点に尽きるような気がしています。我々がバッハを愛し、その音楽に真剣に取り組んでいることは、ドイツ人の自尊心をくすぐるのに十分であったし、ドイツ人自身にもバッハという存在の大きさを再確認する場になったように思います。
また、なんだかんだ言いながら彼らの予期する演奏レベルは十分に満たしていた、と不遜ながら感じました。もちろん、これは三澤先生の指導の賜物で、長年バッハに取り組んでこられた先生であるからこそ、下手な我々の合唱もそれなりに整理されバロック的な雰囲気を出すことにある程度は成功したのでしょう。
もちろん、技術的にはまだまだレベルの低い部分がありますが、今回の経験で私たちも逞しくなったのではないでしょうか。そういった自信が今後の活動にプラスになればと思います。

さて、演奏に関することはこのくらいにして、今回の旅行では同じくバッハ研に所属している妻も同行していました。結婚して1年以上たちますが、二人で海外旅行に行くのは初めてだったので、遅れた新婚旅行のような気分で参加させてもらいました。これまでの話でショッピングや散歩に行った、と書きましたが、私一人だけだったらそんなことはしないでしょう。はっきり言ってだいぶ引き回されましたが、それも楽しいひとときでした。
他にも夫婦、家族による参加があり、全体的に和気あいあいとした楽しい気持ちで旅行できたことを嬉しく思います。
なお最後になりましたが、現在フランス在住のバッハ研創立者である河野さんには、前に紹介したトーマス教会での演奏を実現してくれるなど、今回の日程について現地でいろいろと交渉をしていただいたそうです。この旅行中もずっと海外になれない我々の世話を見ていただき本当に感謝しています。もちろん、旅行を通じていろいろと集団の取りまとめをしていただいた方々にも感謝。

本当は、ホテルのこととか、食事のこととか、海外慣れしてない私にとってめずらしいことはたくさんあったのですが、蛇足にしかならないと思うので割愛します。
この地への旅行としては決して良い季節とは言えなかったですが、観光だけでなく、演奏を通じて現地の人と交流できたという点で、今回の旅行は記憶に残る楽しい旅となりました。

参考文献:ワールドガイドドイツ(JTB)、バッハ=魂のエヴェンゲリスト(礒山雅著、東京書籍)、バッハ事典(東京書籍)


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