私の本棚 幻想・耽美篇(00/12/4)


いろいろな本を読んでいて、ほどなく、自分の趣味は幻想的、耽美的な世界であると感じるようになりました。
日本人の作家でひところよく読んだのが谷崎潤一郎。ふつう、まず思い浮かべるのは「細雪」ということになるのでしょうが、実は私、この超有名な小説は読んでいません。どちらかというと、円熟期の日本の情緒的世界を描いている(と思われる)こういった作品より、初期の悪魔主義とも評される耽美的な雰囲気が好きでした。
太宰治の「人間失格」、三島由紀夫の「仮面の告白」などと同様、青年期の不安定な心理状況を綴った自叙伝的な小説を谷崎潤一郎も書いています。「異端者の悲しみ」というこの中篇の小説は、しかし異端者とまで言うには及ばないような誰もが経験する家族との葛藤が描かれています。この葛藤は、大声でけんかするようなそういったものではありません。自分の不行状を咎めるだけの親と、それを無視して親をバカにするような態度を取ろうとする主人公。素直になればなんということはなくお互いが気持ちよく暮らせるのに、それでもついついそういった態度を取ってしまう、そういったやりきれない心理状況が書かれています。
そして、文体といい、内容といい、非常に印象的だった小説は「春琴抄」。これは決して悲劇、ではないのです。この戦慄すべき出来事には、マゾヒスティックな屈折した感情がこもっています。誰が好んで自分の目に針を刺し、盲目になろうとするでしょう!もちろん、この内容に関する感じ方は人それぞれですが、佐助の春琴に対する極端な献身ぶりは一種、倒錯的な愛情といってもいいものであります。
そういえば、「春琴抄」は三木稔によってオペラ化されており、なぜか浜松でその公演を見たことがあります。総じてよく出来ていたオペラでしたが、果たしてそういった倒錯した世界まで描かれていたかというとちょっと疑問ではあります。

もう一つ、幻想・耽美を感じる私の好きな作家としてアメリカのE.A.ポオがあげられます。
ポオといえば「黒猫」のような怪奇小説、「モルグ街の怪事件」のような推理小説を思い浮かべるかもしれません。もちろん、表面的にはあまりに陰惨で怪奇趣味的なことがポオの特徴ともいえますが、その一方で多くの格調高い恋愛詩も書いているポオ。その詩は数十年後のフランスでボードレールらの象徴派詩人に大きな影響を与えました。そんなポオの作風をひとくくりしようとするならやはり耽美志向、「美」へのあくなき探求心というのが根底にあるのだと思うのです。「美」を感じる一瞬、それは滅びさる直前の輝かしい芳香かもしれない、とポオを読んで感じます。耽美主義とは、必ずや死の予感を伴うものなのです。
ポオの美への追及は、また作品の完成度やその論理性の高さにも発揮させられます。世界で一番最初に推理小説を書いたと言われるポオですが、その他暗号の解読ものとか、思考の面白さ、その解決法みたいなものを楽しんでいる部分があり、それはまた別の方面からの美への追求とも言えます。我々、プログラマーがコンピュータプログラムの構造の美しさを探求しているが如くです。
ポオで有名な小説はことごとく怪奇的なものですが、創元推理文庫のポー全集を読むと、ユーモラスな作品があることもわかります。しかし、もちろんほのぼのとするようなものではなくて、やはりどこかちょっと毒のあるものです。
ポオと音楽の関わりは、あんまり思いつくものはありませんが、ドビュッシーが晩年、ポオの「アッシャー家の崩壊」をオペラ化しようとしていたことが知られています。その断片が演奏されたCDが出た、なんて話題もあったような気がします。ドビュッシー、ポオ共に私の好きな芸術家であり、同じ性向を持った者はちゃんと同士の匂いを嗅ぎ取っているんだなあ、と感じます。


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