About Me

 
 

<1974> ヤマハ音楽教室幼児科で音楽の基礎を学ぶ。だんだんと男の子が減っていき、恥ずかしくなってやめる。

<1979> 中学の合唱コンクールではこのころ何故か、クラスで自作の曲を発表することになっていた。中学1年のとき私の作詞、作曲した曲がクラスの発表曲に選ばれる(編曲は音楽の先生)。

翌年も頑張って作曲したのだが、クラスメートの今では億万長者の漫画家となってしまった某女史の作った曲が選ばれてしまう。彼女の作った曲には、それまで私の見たことのないアルファベットの記号、すなわちコードネームが書かれていたのだった。

<1982> 高校の学園祭ではクラス対抗のイベントがとても盛んで、クラスで自作の曲を発表する「南ソン(南高ソング)」という企画があった。1年のときは私は参加しなかったのだが、同じ学校にいる人達がこんなにもカッコイイ曲を作れるのかと衝撃を受け、このころからポピュラー曲の作曲を始める。

当時の自分の吸収力は未だにすごいと思う。最初の頃は、全部ハ長調で、小節の中に拍以上の音符があったりするくらいのひどいレベルだったのに、1年の間にほとんどすべてのコードネームを覚え、曲がりなりにも人に聞かせられるような物を作ることができるようになった。

<1983> 高校2年のとき「南ソン」に参加。私の作曲、編曲した曲が全校で6位に入る。ちなみに3年のときは2位。(惜しかった!)

高校のとき作った曲は約100曲。単純計算で十日に1曲は書いていたことになる。最初の頃、詩は曲にするために仕方なく書いていたつもりだったが、そのうちに恥ずかしげもなく軟弱なラブソングを作るようになっていた。作曲と同時に詩を書く楽しみも覚える。

また、高校の2年のとき悪い先輩に連れられて音楽部に入部する。ほとんど強制的であったにも関わらず、このおかげで合唱にのめりこむことになる。

<1985> 大学に入学後、すぐさま大学の合唱団に入団。 オリジナル曲を実際の音にしたいという想いから、シンセやMTRなどを購入し多重録音を始める。

<1986> 始めて合唱曲の作曲に挑戦。また、高校の頃から、ポピュラー曲の合唱アレンジなどは随時行っていた。

<1987> あの尾崎豊、大江千里、ハウンドドッグなどを輩出したCBSソニーオーディションの東北地区大会に参加。東北地区では1000組弱のテープ応募があったようだが、その中の7組に選ばれた。後にも先にもポピュラー関係のオーディションは、このときに選ばれたきり。東北地区大会の結果は落選。そのときの東北地区からは誰も全国大会に行くことができなかったようである。

今思い出すと、このとき出場していた人達はなかなか面白かった。青筋立てても何言ってんだか全然わからないヘヴィメタバンド、アダルトな女の魅力で迫る女性ボーカル、蔵王の山にこもって曲を作っているという喜太郎のようなオジさん、どうみてもオフコースにとても似たラブソングを歌ってた大学生(この人は同じ大学だったので、学園祭のときは彼のバンドのライブなど見に行ったりした・・・)

<1989> 就職して浜松に。同期入社のメンバーでロックバンドを結成。キーボードを担当した。私以外はバンド経験者だったので、いろいろ勉強になった。しかし、このバンドも2年ほどで自然になくなった。

<1990> 市内の第九合唱団に参加。年末に第九を歌う。この延長でほぼ同じメンバーで作られる浜松混声合唱団(以下、浜混)に入団。

<1991> このままポピュラー曲を作っていても日の目を見ないと判断。あまりに裾野の広すぎるポピュラー音楽の世界に挫折感を感じ始め、一転クラシック系の作曲を始めようと決断する。何度か合唱曲の作曲にトライしていたが、ようやく満足できるレベルのものができ始めた。

浜混の指揮者の斎藤令先生に自分のオリジナル曲の話をしてそのあと先生に楽譜を送った。つけた詩が大手拓次のものということもあったのか(斎藤先生は西村朗の大手拓次3部作が好きだと言っていた)、この曲を非常に気に入ってくれ、翌年の浜混のステージでこの曲を初演することに決定。

<1992> 浜混にて「大手拓次の詩による四つの混声合唱曲」を初演。後になって思うと、このときの体験がその後も長く合唱曲の作曲を続けるきっかけになった。

<1994> 浜混にて合唱叙事詩「詩人」(ヘッセ原作)を初演。「詩人」の初演後、VOX POPULIを結成。

混声合唱組曲「わらははわらべ」(詩:矢川澄子)が神奈川合唱曲作曲コンクールにて佳作に選ばれる。

<1998> 混声合唱のための「だるまさんがころんだ」より、が第9回朝日作曲賞に選ばれる

<2001> 「草野心平の詩による四つの男声合唱曲」が、第2回上野の森コーラスパーク合唱作品作曲コンクールにて入賞。

<2002> VOX POPULI を解散。浜松グリーングラスエコーと合併し、新たにヴォア・ヴェールという合唱団を結成。

<2005> 混声合唱組曲「E=mc2」が第16回朝日作曲賞佳作に選ばれる。

<2006> 混声合唱のための「五つの母音の冒険」が第17回朝日作曲賞に選ばれる。

<2008> 女声合唱組曲「るら るら る」が国立音楽大学女声合唱団アンジェリカ主催の作品公募で佳作に選ばれる。

 

名前:長谷部雅彦

生立ち:1966年山梨県甲府市生

最終学歴:東北大学工学部

住所:静岡県浜松市

本業:電子楽器設計

家族:妻 & 長男


賞歴:

18回神奈川合唱曲作曲コンクール佳作

9回、第17回朝日作曲賞受賞

16回朝日作曲賞佳作受賞

2回上野の森コーラスパーク合唱作品作曲コンクール入賞

私の音楽歴

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Name : HASEBE Masahiko


Composer, Conductor for Choir ; Engineer (embedded software programmer for musical instrument) ;


Address : Hamamatsu City, Japan

Birth : 1966

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